会いたいひとが、いるから 移動教室のとき、渡り廊下を通るのが寒い時期になってきた。 セーラー服の首元は、ひどく無防備で寒い。 羽織った大き目のニットの袖に、そっと指先まで隠して、 寒い寒いと言う望美の声に、弁慶は何も言わずに頷く。 それでも、さして急ぐことなく、通り抜ける。 好きなひとがいるらしい。 そのことは望美も、前々からそれとなく気づいていたのだけれど、 誰とまでは知らなかった。 朔は、言わないだけで、もしかしたら知っているのかもしれない。 (誰なんだろ…?) 望美はそんなことを思いながら、会話の途中、ぼんやり考えていた。 ホームルーム終了のチャイムが鳴る。 生徒たちが次々と部活動に向かうなか、 どことなく、気もそぞろな弁慶は静かに立ち上がる。 学校指定の紺のピーコートを羽織って、すっかり支度を終える。 「…弁慶さん、もう帰るのー?」 「は、はい…。 ―あの、」 そうやって言えば、何か言おうとして躊躇うこと。 嘘をついているとか、隠してるというわけではなくて、 言いづらいのか、恥ずかしくて言えないのか。 どうだか分からないけれど、相談してほしいなあ、なんて友達心に思うのだ。 放課後に、きっと何かあるのだろう。 そのことだけは、弁慶の様子から分かるのだけれど。 「…図書室に、寄ってから……帰ります。」 「――そっか。」 やっぱりいつも通りの間があって、望美は、くす、と笑った。 少し頬を赤くしたりして、可愛い。 「あの、望美さんは部活ですか?」 「うん、そうだよ。 あ、帰り、気をつけてね?」 「はい…あの、望美さんも。」 そう言って、控えめに手を振って、弁慶は教室をあとにした。 嬉しそうな背中を、少し微笑んで見送る。 「おい、春日ー!!お前日直だろ!?」 「あ!忘れてた!」 同級生の声に、望美は、慌てて職員室のある1階に向かった。 階段の少し先を降りていく弁慶の背中を見つけて、声をかけようか迷った。 弁慶は、渡り廊下の前までいつもより少しだけ急いで歩いて、 そうして。 渡り廊下を、ぱたぱた、軽く走り抜けた。 望美は、その背中をぽかんと見つめた。 (めったに、走ったりしないのに……。) あんなに慌てて、どこへ行くのだろう。 思わず隠れて見守ってしまった。 みつあみをゆらゆら揺らして、白く息を切らせて。 (―図書室に好きなひとがいるのかな?) そう思いながら、こっそりと、あとをつけてしまう。 いけない、いけない、とは思ったのだけれど。 すぐに追いついてしまって、慌てて隠れた。 保健室の前、呼吸を整えながら、何度かノックを躊躇う弁慶がいる。 (具合、悪いのかな?) でも、それなら走ったりなんてしない。 望美はそのまま様子を見る。 ―とんとん。 静かなノック。 そんなので、聞こえるの、ってくらい小さな。 そうして思って待っていると、中からがらり、と戸が開いた。 「…失礼します。」 「ん、いらっしゃい。 寒かっただろ?」 弁慶の表情が和らぐ。 ふわり、砂糖菓子みたいに甘く微笑んで。 思わず、望美がどきりとした。 (…え?弁慶さんの好きなひと、って……。) そういえば、そうだ。 体調悪いの?と聞いて、保健室に連れて行こうとすれば、 赤い顔をして大丈夫だと言う。 それに、夏祭りのときだって。 (藤原先生…?) あんなに急いで会いにきたくらいだ。 それくらい、好きで。 妙に納得して、望美は、引き返した。 (いいなあ、あれが恋してる顔、かあ…。) そんなことをぼんやりと考えながら歩く。 担任が、渡り廊下の先で待ち構えていた。 「こら、春日!お前、日直忘れてるだろ!」 「あっ!!」 望美は、本来の目的を思い出して、駆け出す。 同じようにこの渡り廊下を走っていても、違う気持ち。 弁慶の恋を思って、望美はあたたかな気持ちで保健室を振り返った。 (―可愛い恋…応援しよう。) ―会いたいひとが、いるから。 あの渡り廊下も、駆け抜けて。 そんな恋がしたい、って思った。 |