秋色に染まる葉を見て、思うこと




朝の空気が、冷たくなってきた。
駅のホームは電車が次々滑り込んできて、風が通り抜ける。
思わず身をすくめて、カーディガンのポケットに手を入れた。

「弁慶さーん、おはよー!」

元気よく手を振ってくる望美を見つけて、
ほっと安心して息をつく。

「おはようございます。」

静かに挨拶すると、またひとつ風が通る。
微かに震えると、朔はくす、と笑った。

「そろそろ、マフラーや手袋が必要ね。
 今度買いに行きましょう。」

「ああ、そうだね!
 寒いー!」

望美も、同調した。
弁慶もひとつ頷く。



通学路は、かさかさ、落ち葉が音を立てて風に舞う。
立ち止まりそうな歩調で歩く弁慶を、ふたりは笑顔で見守る。
赤や黄に染まった葉を、愛しそうに眺めながら、ゆったりと学校へ向かった。



教室の窓の景色も変わった。
中庭の景色も。
秋の色は鮮やかだけれど、眩しすぎなくて、温かい。
ほう、と息をついて、気がつけば外を見てしまう。
あの赤の色は、まるで。
そう思って、はっとして、頬を赤らめる。

(また先生のこと…!)

あの日、「好き」ということば。
告白じゃないけれど、まるで告白したみたいな気持ちだった。
そして、ヒノエの「好き」ということばが、離れない。

(別に、深い意味なんて、なかったんだろうな…)

そう考えると、少しだけ切ないけれど。
嬉しい気持ちもあって。
どんな些細なところでも、好きだと思ってもらえたことが、
ただ嬉しくて。



「弁慶さん、何かいいことでもあったの?」

ふと見れば、望美が目の前にいて。

「え?!い、いえ…何もないです!」

「そお?なんか、嬉しそうな顔してるからさ…。」

訝しがって、望美がさらに覗き込むから、
弁慶はまた真っ赤になってしまう。

「もしかして、恋してる、とか?」

「え……?!ち、違います!」

ぶんぶん、と首を横に振って、真っ赤な顔をして否定する弁慶の姿は、
どう考えても肯定しているように見える。

(分かり易いなあ、弁慶さん…。)

こっそり望美は思って、ひとつ笑った。
相談して欲しい、とは思うのだけれど、恥ずかしがりの弁慶のことだから、
なかなか言い出してはくれないのだろう。

「最近ますます可愛くなったし、ねえ、朔?」

「そうね、望美。」

弁慶は、ますます赤くなってしまう。
今にも泣き出しそうな顔に、ふたりは夏休みのことを思い出してしまう。
前にもこんなことがあった、と。
けれど、朔が望美を諌めて、弁慶を宥めた。

「あら、まだ顔が赤いわ。
 熱でも…あるんじゃないかしら?」

朔は、そっと手のひらを弁慶の額に当てる。
冷たくて、気持ちいい、と弁慶はゆったりと瞼を閉じた。

「…少し熱いわね。
 最近気温が急に下がったもの…風邪かもしれないわ。
 保健室で休んできたらどうかしら?」

保健室、ということばに、思わずびくりと震える。
こんなにヒノエのことばかり考えて、どんな顔をして会えばいいのだろう。

「だ、大丈夫です!」
「無理はいけないわ。
 風邪は引き始めが肝心なのよ。
 ほら、午後の授業が始まる前に、ね、望美?」

「うん、いっしょに行ってあげるから。」

ほんとに大丈夫です、なんてことばはまるで聞いてくれず。
ずるずる、と引き摺られるような形で、保健室に連れて行かれた。



ノックもなしに、豪快に扉を開ける望美に、
ヒノエは呆れたため息をつく。

「―春日、お前さあ…。」

他に休んでるヤツがいたら、どうすんの?なんて、
説教も望美は聞かないフリ。

「だって、急病人だもん!
 ほら、弁慶さん、早く中に入って!」

弁慶、ということばに、ヒノエは微かに顔色を変えた。

「あの、ほんと、大丈夫、ですから…!
 授業、始まっちゃいますし…!!」

望美に前に押し出されて、どうしていいのか分からなくて、
弁慶は望美に縋りつく。

「だめ!
 大人しく寝てなさい!
 放課後迎えにくるから!」

望美は、ぴしゃりと言い放った。
弁慶は、思わず頷いてしまう。
そこで、昼休み終了のベルが鳴り出した。

「じゃあね!!
 藤原先生、弁慶さんを、ちゃんと休ませてよ?!」

ヒノエは、はいはい、なんて投げやりな返事をして、
駆け出す望美の背中を見送った。
廊下は走らない、なんて背中に言ったけれど、
きっと聞こえてはいないだろう。



「―騒がしいヤツ…。」

ぼそり、呟いて、保健室の扉を閉めた。
真っ赤な顔をして俯く弁慶を見て、
表情を和らげる。

「…急に寒くなったからね、風邪でも引いた?」

ヒノエは、弁慶の前髪をそっとかきあげて、額を重ねた。
急に縮まった距離に、弁慶はびくりと体を震わす。

「ん、微熱ってトコかな。
 あったかいもの飲んで、ゆっくり眠りなよ。」

そう言って、ヒノエは、いつも通りのミルクティを作ってくれる。
弁慶は、ぼんやりとベッドに座っていた。
差し出されるカップを、両手で大事に抱える。

「―熱いから、気をつけて。」

向かいのもうひとつのベッドに座って、ヒノエはコーヒーを飲んだ。
弁慶は、何だか安心して、ほっと息をついた。
そうして、保健室の窓から、中庭の木々を眺める。
赤に染まった葉が舞うのを、目でただ追う。

「―あの黄色い葉が日に透けるのを見てさ…、」

静かにヒノエが言うので、そっとヒノエに視線を戻す。

「―アンタみたいだ、って思ってた。
 髪の色に似てる、って。」

「え……?」

弁慶は、また頬をそっと赤くする。
ヒノエは、少しはにかんだように笑って、コーヒーを飲み干した。

「―すぐそこで仕事してるから、眠りなよ。
 ね?」

「は、はい……。」

ことん、と枕元の棚にマグカップを置いて、ふとんにもぐりこむ。
ついたての向こうにヒノエが行ってしまうと、弁慶は小さく呼びかけた。

「先生…?」

「ん、どうした?」

きい、と椅子が回る音がしたから、こちらを向いてくれたのだろう。
どきどき、ふとんのなかで鼓動が響く気がする。

「…同じこと、思ってました…。」

ヒノエは、ただ聞いている。

「赤い葉っぱ、先生の髪の色みたいだ、って……。」

ヒノエは、最初何を言われたのか分からなくて、ただ目を丸くしていた。
沈黙に耐えかねて、弁慶は慌てる。

「―そ、それだけです…!
 おやすみなさい…!」

逃げるように、ふとんに深く潜りこんで。

「そっか……おやすみ。」

ヒノエの顔に、小さな笑みが零れる。
そんなことを考えてくれていたことが嬉しくて。
弁慶は、優しい声がしてほっとして、ふとんから顔を少しだけ覗かせた。
そうして、収まらない鼓動のまま、窓の外の景色を仰ぎ見る。
赤い葉が、ひらり、舞っていく。
その葉を見ながら、弁慶は、そのうち眠りに落ちていった。





窓の向こう。
秋色に染まる葉を見て、思うこと。