小さなふたつのりんご飴




夏祭り当日。
朔の家で着付けてもらい、髪を結い上げて
化粧までしてもらった。
いつも学校に行くのに髪を編んでいるけれど、
それ以外の髪型というのは、
いまいちどうやったらそうなるのかさえ分からない。
リップクリームくらいは持ち歩いているけれど、
化粧などはもってのほか。
何だか、別のひとになったみたいだ。

(―おかしくないかな。)

鏡の前で、そんなことを考えていたら。

「大丈夫よ、よく似合っているから。」

と朔に優しく言われた。
不安がっていたのが分かったらしい。
ぺこ、と頭を下げると、ちりん、と髪飾りの鈴が鳴った。

「朔ー!弁慶さーん!
 早く行こう!」

いつの間に支度が終わったのか、望美が玄関から叫ぶ。
朔と目を合わせて、笑った。



橙の提灯、祭囃子、夜店の賑わい。
何だかいつもと違う街のよう。
小さな段差にもつまづいてしまいそうだから、
弁慶はいつもに増してゆっくり歩く。
望美は段差によろめいても転ばず、
いつも通り元気いっぱいに歩いている。

「望美、あんまり急ぐと転ぶわよ。」

朔に注意されながら、だって楽しいんだもん、なんて望美は笑う。
ひと通り回った後、望美が提案する。

「かき氷、食べよう!」

望美はそう言うと、すぐに夜店に駆け寄った。
手早く、自分の分を注文している。

「ふたりはー?」

「私は、レモンがいいわ。弁慶さんは?」

「えと、いちごがいいです。」

それぞれかき氷を手に、神社の境内の塀に寄りかかって食べる。
メロン味のかき氷を頼んだ望美は、
メロン色になった舌を覗かせて笑う。
望美は、ずっと大はしゃぎだ。

「…っと、わ!」

そのとき、望美は、砂利に足を滑らせてよろめいた。
転びはしなかったものの、手から、残り少なかったかき氷がこぼれ落ちる。

「あ、望美…!浴衣に、かかっちゃってるわよ!」

「え、あ、ホントだ!」

望美は淡い色の浴衣だから、メロンのシロップがとても目立ってしまう。
朔が慌ててハンカチで拭いてくれたけれど、染みこんでいた。

「水に濡らしたほうが、いいかもしれないわね。
 全くもう、そそっかしいんだから。」

「う、返す言葉もない。
 あそこに水道があった気がする…。」

望美の指さした先には、たしかに蛇口が見えた。
すぐそばだ。

「ちょっと拭いて来るわね。
 持ったまま歩くと、弁慶さんも零してしまうでしょう。
 ここで待っていてもらえるかしら?」

朔は、最後のひとくちを食べて、望美の落としたカップといっしょに
近くのゴミ箱に捨てた。
弁慶は、まだ食べ切れていなかった。

「ごめんね、弁慶さん。
 すぐ戻るから。」

「いえ、ここで待ってますね。」

ふたりの背中を見送って、かき氷をすくった。



少し経って、食べ終えたかき氷のカップを捨てると、
ぼんやりと塀に寄りかかった。

(―先生も来てるのかな。)

どこに住んでるかも知らないのに、そんなことを考えて。
何考えてるんだろう、と首を横に振る。
鈴が、ちりちり、鳴った。

「あれ、藤原サン?」

はっとして、顔を上げると、今考えていたその人が、目の前にいた。
かあ、と顔が赤くなるのが分かる。

「先生…。」

ヒノエの、いつもと違う格好に戸惑った。
デニムにTシャツという、ラフな格好で、とてもかっこいい。
いつもヒノエといるときも変に緊張しているのだけれど、
余計に緊張してしまう。
誰と来たのか、気になってしまう。

「祭り、来てたんだ。
 …誰と来てんの?」

それは先生に聞きたかったのに。
先に聞かれてしまった。

「同じクラスの…春日さんと、梶原さん…です。」

「ああ、そか。」

「…あ、あの、」

先生は、誰と?とはなかなか言えなくて。
不思議そうにこちらを見るヒノエの視線から、逃げてばかりいた。

「あれ!藤原先生だ!」

戻ってくるなり大声をあげる望美に、
ヒノエが苦笑して。

「コラ、指さすな。」

「だってーびっくりしたんだもん。
 先生は誰と来たの?」

あ、と弁慶は顔を上げた。
聞きたくても聞けなかったこと。
でも、聞きたい気持ち半分、聞きたくない気持ち半分だった。

「…そうだね、藤原サンと、かな?」

突然、腕を引かれて、ヒノエの腕の中に納まって。
びっくりして、何も言えずにいた。

「もー先生、セクハラだよ、それー!」

望美の笑い声が聞こえるけれど、
自分の心臓の音のほうが気になって。

「で、結局誰と来たんですかー?」

「あー…ご想像にお任せするよ。」

それは、どういう意味なのか。
ヒノエの腕の中で、少し沈んだ気持ちになる。
するり、解かれる腕にかすかな寂しさ。

「それより、もう祭りも終わるよ?
 危ないから、さっさと帰りな。」

ヒノエが腕時計を見ながら言う。
時刻はもう、9時。
確かに、夜店も片付け始めるところが出てきている。

「ホントだー、残念…。」

「そうだわ、私と望美は同じ方向だからいいけれど、
 弁慶さんはどうやって帰るのかしら?」

朔が、心配そうに弁慶を見つめる。
朔と望美は、同じ町内に住んでいるけれど、
弁慶は電車で駅ふたつ行ったところに住んでいる。

「あの、電車で帰ります。
 駅のロッカーに荷物も預けましたし…。」

「でもひとりでは、危ないわ。
 電車はともかく、駅から歩くのでしょう?」

「大丈夫です。
 いつもひとりで帰ってますから。」

にこ、と弁慶が笑うけれど、ふたりの顔はうかなかった。

「だったら、オレが送ってくよ。」

その声に、弁慶が振り向いた。
ヒノエは、優しく笑っている。

「そうね、そうしていただいたら、私たちも安心だわ。」

「えーどうかなあ?むしろ危ないんじゃないかな。
 弁慶さん、気をつけてね?」

「オイ、どういう意味だよ、それ?」

だってー、と望美たちのやりとりも耳を素通り。
ふたりと別れたときのことも、
あとからではよく思い出せなかった。



ふたりきりになってしまって、弁慶はずっと俯いていた。
なんだか顔があげられない。

「あの…ご迷惑じゃ…。」

「迷惑なんてとんでもない。
 お姫様のお供に選んでいただけるなんて、光栄だね。」

ヒノエが、かしこまって礼をした。
そうして、あ、とヒノエが手を打つ。

「ちょっとだけ、夜店見てっていい?」

「あ、はい…。」

ヒノエの少し後ろを歩いた。
なんだか緊張して、沈黙してしまう。

「…いつもと違うから、分かんなかった。」

「え?」

突然足を止めたヒノエに、とん、とぶつかる。
ちりり、鈴が鳴った。

「…すごく、よく似合ってるよ。
 可愛い。」

突然見つめられて、かあ、と赤くなった。
消えるような声で、ありがとうございます、とだけ答えるのが精いっぱいだった。

「…オヤジとおふくろに付き合わされて来たけど、来て良かった。
 こんな可愛い藤原サンにも会えたし、ね。」

「え?
 あ!いっしょに来たひと、って…。」

両親はいきなりヒノエの住むマンションに来て、
付き合え、とヒノエを引き摺ってきたくせに、
早々にふたりで夜店を回り始めたのだと言う。
少し恥ずかしそうに苦笑しながら言うヒノエが、
何だか可愛く見えて、弁慶はくすくす笑った。
いっしょに髪飾りが、ちりちりと鳴る。

「ご両親と、いっしょに帰らなくていいんですか?」

「あー…さっき先に帰るって電話あったよ。
 勝手だよなあ。」

また苦笑して、ヒノエが言う。

「まあ、いいや。
 りんご飴でも、食べる?」

「はい…!」

まだ開いている夜店で、りんご飴を買う。
もう小さいりんご飴しかなかったけれど、
じゃんけんで勝ったらふたつ、で見事ヒノエは勝った。
ふたり揃って、りんご飴を舐める。
楽しいけれど、帰り始めた人並みに逆行して歩いていたから、
何度かひとにぶつかりそうになった。
神社の境内は石畳だから、余計に足元が危ない。

「―危ない、から。」

ヒノエは、弁慶の空いている手をとって、歩く。
触れた手から、心臓の音が聞こえてしまいそうだと思った。

「……そろそろ帰ろっか。」

「…はい…。」



遠くなる祭囃子を聞きながら、話していたけれど。
ほとんど何も覚えていなかった。
確かに覚えているのは、つないだ手の熱さと、
りんご飴の甘さ。

―来年もまた、行きたい。
 できれば、いっしょに。

そんなことを願うようになったのに、
まだこの気持ちを表すことばが分からなかった。



永遠みたいに長い、帰り道だった。