いちばん好きなもの




約束の電話。
ふいに鳴る電子音。
携帯のウインドウ、映る名前に
弁慶の顔が綻んだ。
どきどきしながら、通話ボタンを押す。

「は、はい。」

「あ、オレだけど。
 今、大丈夫?」

「はい。」

「昨日は、あのあと眠れた?」

「はい…ちゃんと眠れました。」

「そか。」



少し、間が空いた。
ヒノエも、実際電話してみると、何を話していいのやら、
正直困るものだ。
目の前にいるなら、お茶を出したり、
みつあみを引いたりするのだけれど。

「…先生?あの?」

不安げに揺れる声に、はっとして、思考から戻ってくる。

「や、なんでもないよ。
 何…話そっか?」

聞くなんて、情けないけれど。
いつもなら、女の子の好きそうな話題くらい、
ひとつふたつ浮かんでくるのに。
弁慶相手だと、何だか調子が狂う。

「先生の、話…が聞きたいです。」

「オレの?」

「先生の、好きなもの、とか…。」

恥らったように小さくなる声。
かわいいことを言ってくれる。

「ふふ、気になる?」

「え、あの…。」

きっとあの白い頬を赤くしているのだろう。

「…当ててごらん?」

「え?」

「オレの、好きなもの。」

この子は、当てられるだろうか。
いたずら心で問う。

「…猫、は好きですか?」

「そうだね、割と好きかな?」

「…コーヒーも、よく飲んでますよね?」

「ああ…そう言われてみれば、そうだね。」

「赤、は?」

「そうだね、携帯も赤にしたし。」

なるほど。
意外とよく見ているようだ。

「あ、甘いものは、よく保健室にあるから、好きなんでしょう?」

「え、」

不意の質問に、はたりと思考が止まった。
甘いもの。
そこまで好きというわけではない。
けれど最近、買ってきてまで、おいているのは。
それは。

「…先生?違うんですか?」

「や、違…わないよ。」

保健室に来て欲しくて、弁慶のために用意して。
毎日、通りかかるたびにちょっかいを出して。
呼び止めて、引き留めて。
思いのほか、こんなにも自分はこの子が好きだと気づく。
8歳も下の生徒に翻弄されるなんて。
参ったな、なんて心の中でそっと苦笑した。

「あと、本も好きですよね。」

「ん、まあね。
 でも……、」

この子は、きっと気づいていないだろうけれど。

「オレの、いちばん好きなもの、って何だか分かる?」

「…先生の、いちばん好きなもの?」

何だろう、って考え込む声がする。
やっぱり、気づいていない。

「…分からないです。
 何ですか?」

「ふふ、教えてあげない。」

「…そうやって、いつも本心を隠してるんだから、
 分かるわけないでしょう?」

「そのうち、分かるよ。
 そのうち、ね。」

そう、いちばん好きなのは。
いつの間にか、こんなにも夢中になっていたんだ。





―いっしょにいてほしいから、どこかで口実を探したりして。
 情けないかもしれないけれど、どこまでも夢中になっている自分。



いつ、分かってくれるかな?