先生がくれた、気持ち




2月13日。
いよいよ、明日はバレンタイン。
教室の落ち着きのなさも、昨日より増していた。
誰が、誰にあげる、とか。
誰の分を用意した、とか。
女子だけ、騒がしいわけじゃない。
男子もまた、もらえるか、もらえないか、ひそひそと話している。

(バレンタインでこんなにどきどきするの、初めて…。)

好き、という気持ちも、こんなどきどきも。
ぜんぶ、先生がくれた、気持ちだから。
それすらうれしくて、弁慶は家の机の上に置いたチョコレートを思い浮かべる。

(いよいよ、明日、なんだ…。)

そう考えると、今から緊張してしまう。
どうか、喜んでもらえますように。
祈るように、願うように、窓の外を見上げた。



昼休み、ごはんを食べ終えて、弁慶は図書室に向かっていた。
返す本、借りる本。
放課後が少しでも長くなるように、用を済ませてしまいたくて。
通りかかった保健室が騒がしくて、思わず足を止める。

「―藤原先生、明日はここに1日いますかー?」

「ん、たぶん…分かんないけど、ね。
 それより、早く教室に戻りな?
 予鈴鳴るよ?」

「よかったー!
 じゃあ、先生、また明日ねー!!」

女子生徒たちが出てくる。
弁慶は、思わず小走りで教室に向かった。

(やっぱり、先生…人気あるんだ…。)

きっと、あの子たちも先生にチョコレートをあげる気なのだろう。
少し気分が落ち込む。
遅くなる歩みを、予鈴が急かす。
ブレスレットのない手首は心もとなくて、何だか不安になった。



放課後。
弁慶は、少しだけ、しゅんとして保健室に向かっていた。
あの子たちと同じ問いを向けたら、ヒノエはどんな答えを返すのだろう。
静かなノックに、いつも通りの声が返ってきて、弁慶は戸を開けた。

「―失礼します。」

やっぱり、ヒノエは優しい笑顔を見せる。
ほっとするのだけれど、やっぱり不安で。

「ん、座って?
 今日は、用事ないの?」

「あ…はい…。」

「そか、よかった。」

手際よくミルクティを用意して、ヒノエが戻ってくる。
いつも通りの甘い香りに、弁慶はかすかに睫を震わせた。

「はい、ミルクティ。
 熱いから、気をつけて?」

「ありがとうございます。
 ―あの、あ、明日、なんですけど…、」

「ん?」

ヒノエが、コーヒーを手に、向かい合って座った。
弁慶は、顔を上げられないまま、小さな声で言う。

「先生、明日は…1日ここにいますか…?」

同じ質問。
どうか違う答えを返してください。
祈るような気持ちでヒノエの答えを待つ。
ヒノエは、一瞬きょとん、とした顔をして、そのあと優しく微笑んだ。

「―ん。いつも通り、ここにいるよ。」

弁慶は、ほっとして、胸を撫で下ろした。

(―良かった…たぶん、じゃない…。)

もし、たぶん、って言われてしまったら、あの子たちと同じ、ということだから。
特別だって、そう思ってもいい、ということだろうか。

「―こうやって、いっしょに放課後過ごすの、金曜日以来だね。」

ヒノエが穏やかな口調で言った。
弁慶は、思わず顔を上げる。

「あのときは、15歳。
 今は、16歳、だよ。」

「そう、ですね…。
 不思議な気分、です…。」

16歳。
自分では、特別な意味なんてないと思ってた。
でも、あの日ヒノエが言ったように、結婚できる歳なのだ。

(先生に、少しだけ近づけたのかな…?)

歳の差は、また4月には、広がってしまうけれど。
少しだけ、追いかけて。

「違いますね……幸せな、気分、です…。
 先生に、祝ってもらえたから…。」

今はつけていないブレスレット。
左手首をぎゅっと胸に抱く。

「―喜んでもらえたなら、オレも、幸せだよ。」

ヒノエが、優しく髪を撫でるのを、赤い頬をごまかすように俯いて、
ただミルクティをひとくち飲む。
まだ少しだけ熱いけれど、ぬくもりがじんわり、身体に染みてくる。

「―オレも、祝えて幸せだし、さ。」

優しい先生の声が、何だかとても安心した。
明日もまた、こうやって、ふたりの時間が過ごせればいい。
そう、思っていた。



夜、落ち着かない気持ちで、チョコレートの箱を眺める。
そんなに大きいものではないけれど、想いは大きくて。
溢れてしまいそうなほど、好きで仕方なくて。

(先生は、何個もらうんだろう…。)

先生がただ好きだったときなら、受け取ってもらえただけでも、
きっと嬉しかっただろう。
けれど、恋人、にしてもらえたから。
わがままな気持ちが、他のひとのチョコレートを受け取らないで欲しい、
と叫びだす。
こうやって、気持ちをこめたチョコレート、だから。
先生のために、って選んで、受け取ってもらえるかな、って不安になって、
どうやって渡そうかな、悩む気持ちが分かるから。

(―他のひとのチョコレートを受け取ってても、落ち込まないで、
 ちゃんと渡そう…。)

ちょっと切ないけれど、そう決意して、形が崩れてしまわないように、
そっとそっとバッグに入れた。





―なかなか寝つけない夜も、いつの間にか更けて。
 明日はいよいよ、バレンタイン。