会えなくても、声が聞ければ




2月に入って、ますます寒くなった。
暖房の入った教室は、ぼんやりとしてしまって、いけない。
けほ、とひとつ咳をすれば、朔が心配そうなまなざしを向ける。

「大丈夫…?」

朔はそう言って、バッグからのど飴を出してくれる。
ころん、と手のひらに転がされて、弁慶はほころんで笑った。

「ありがとうございます…。」

セロハンの包みを開けて、口の中に放り込めば、
優しい甘さが広がった。
かさついたのどに、うれしい。

「もうすぐ誕生日なのに、
 風邪なんて引いたら台無しだもの。」

「え?
 あ…………。」

そうか、誕生日。
自分の誕生日なんて、すっかり忘れていた。
弁慶は苦笑した。
まさか、忘れていたの、なんて朔に見通されて、
素直に頷いた。

「もう、しょうがない子ね。」

朔は、優しく微笑んだ。
望美は、いつも通り明るく話に入る。

「しかも、誕生日って、祝日じゃない!
 1日中いっしょにいられるじゃん!」

望美のことばに、弁慶は、少し哀しそうな顔をした。
もし学校だったら、間違いなく逢えたのに。

「どうしたのー?」

弁慶の表情に、望美は心配そうに覗き込んだ。

「いえ………。」

「―もしかして、誕生日のこと、話してないの?」

弁慶は、頷いた。
ふたりは目を合わせる。
よく考えれば、弁慶の性格からして、自分から逢いたいとか、
何が欲しいとか、言えるわけがない。
そもそも、誕生日がいつか、なんて話し出すことさえできないだろう。

「そっか……。」

ふたりとも、困って、ただ目を合わせるばかりだ。
それに気づいて、弁慶は慌てて表情を繕う。

「あ、あの、いいんです…!
 月曜から金曜、放課後いっしょに過ごせれば、それで…。」

はにかんで、そんなふうに言うので、望美も朔も何も言えなくなって、
ただその話題を終わりにするしかなかった。





誕生日前の、金曜日。
放課後、いつもの通り保健室で過ごす。

「―はい、ミルクティ。」

「ありがとうございます…。」

あったかいミルクティを受け取って、ほう、と弁慶は息をついた。
この次、先生と逢うときには、16歳なんだ、って思うと不思議な気分。

「―連休は、どうするの?」

誕生日は、祝日。
今年は、しかも月曜日だから3連休。
だから、3日間も逢えないんだ、なんてちょっと切ない。
なんで、祝日なんかに生まれちゃったんだろう、
なんて少しだけ思ったりして。

「―せっかく時間もあるので、図書館に行ったりしようかな、
 って思ってます…。
 あとは……月曜日、望美さんと朔さんに買い物に誘われてて…。」

誕生日、だなんて、やっぱり言えない。
本当はいっしょにいられればうれしい、けれど。

「そっか…。
 ――また、電話してもいい?」

そのヒノエの申し出は、とても嬉しくて。
声を聞けるだけでも、幸せだから。
弁慶は、本当に嬉しそうに微笑んだ。

「はい………!」

そうして、ミルクティをひとくち。
幸せが満ちてくみたいに、あったかい気持ちになった。





土日は、図書館で一日中過ごして、
夜、ヒノエと電話していた。
日曜の夜11時半過ぎ。

「もうすぐ、0時か……。」

「そう…ですね、そろそろ寝ないと。」

少しだけ眠そうな声だったのかもしれない。
ふ、とヒノエが笑ったのが分かった。

「―そか。
 寝ないといけない時間か。」

「はい…。」

「明日、また電話していい?
 そうだな、夕方、くらいかな。」

ヒノエのことばは、いちいち嬉しくて、
弁慶は眠さも忘れて微笑んだ。

「はい……!」

自分の誕生日が、それだけで特別なものになったみたいに思えた。





そして、誕生日の月曜日。
望美と朔と、買い物に出かける。
ちょうど冬物の最終セールなんかもやっていたりして、
テスト勉強でストレスの溜まっていたところ、いいストレス発散になったようだ。
望美は、すっかり買い込んで、重い重いとうめいている。

「望美は買いすぎなのよ。」

朔が、くすくす笑う。
弁慶は、服のことはよく分からないから、
ふたりに薦められたものをいくつか買っただけだ。

「少し休憩しよー?
 ほら、弁慶さんの誕生日祝いのケーキ!」

「そうね、どこかに入りましょう。」

ふたりに連れられて、小さなカフェに入る。
たくさんの種類のケーキがあって、どれにしようかな、と
ただ悩む姿がかわいくて、ふたりはくすくす笑っていた。

「これ、にします…。」

悩みに悩んで決めたのは、ココアスポンジのショートケーキ。
クリスマスで食べたような、いちごとチョコレートのものはなかなかなくて、
やっぱり特別だったんだ、なんて少しくすぐったい気持ちになる。

(―先生は、今頃どうしてるのかな…。)

ふ、と思った。
夕方、何時くらいに電話してくれるのだろう。
待ち遠しい。
早く声が聞きたい。

「…弁慶さん?
 違うのにする?」

はっとして、目を上げると、ふたりが心配そうに見ている。
いけない。

「い、いえ、これで大丈夫です…。」

「ほんとに?」

「はい…。」

何度か繰りかえし聞かれたけれど、そのうちやっと納得してくれて。
望美が店員を呼んで、まとめて注文してくれた。
ふたりも同じケーキを頼んでいた。



しばらくして、ケーキが運ばれてきて弁慶は驚いた。
ろうそくはないものの、砂糖細工のうさぎが、
『お誕生日おめでとう!弁慶さん』というチョコレートプレートを持っている。
弁慶が、嬉しそうに綻んで笑うと、ふたりも目を合わせて喜んだ。

「ありがとうございます…!
 すごく、うれしい…。」

「よかったー!
 お誕生日おめでとう!!」

ぱちぱち、と拍手されて、弁慶はひとつ頭を下げた。
そうして、いただきます、と丁寧に言ったあと、ひとくち口に運ぶ。

「…おいしい?」

ひとくち、口に入れたばかりの弁慶に、望美が言った。
朔に、質問が早すぎるわよ、と言われたけれど、望美はじっと待っている。
きちんと飲み込んで弁慶は答えた。

「―はい、とっても。」

「よかったー!
 せっかくの誕生日だもんね!」

ふたりもうれしそうに、同じケーキを食べ始めた。





ケーキを食べ終えて、飲み物を飲みながら話していると、
ふいに弁慶の携帯が鳴った。
『藤原先生』という文字が出て、急に鼓動が高まる。

「ふふ、気にしないで大丈夫よ、どうぞ?」

どうやら察してくれたらしい朔の言葉に甘えて、
弁慶は携帯を持って、席を離れた。

「―お待たせ、しました……。」

「あ、藤原サン?
 ゴメン、タイミング悪かったかな?」

「い、いえ……。」

どうしよう、と思った。
ふたりがせっかくお祝いをしてくれてるのに、
こうして電話で話すのはふたりに失礼じゃないか、って。
でも、素直に嬉しくて。
あとで、掛けなおした方がいいかな、と思うけれど、
なかなか言い出せないのも性格。

「梶原と春日と出かけてるんだっけ?
 今もまだ、ふたりと一緒?」

「あ、はい………。」

「そっか……じゃあ、ふたりと別れたら連絡くれる?」

「はい、分かりました…。」

ヒノエのほうからそう切り出してくれたので、ほっとする。

「ふたりに悪いから、慌てなくていいよ。
 待ってるから。」

「はい……じゃあ、また……。」

「ん、またね。」

ほう、と息を吐いて、携帯をぎゅ、と抱きしめる。
やっぱり嬉しい。
声が聞けただけでも、幸せで。



戻ってくると、ふたりが、笑顔で出迎える。

「先生、何だってー?」

望美が、にやり、と笑った。
弁慶は、少しだけ後退りする。

「―あとで、連絡して、って…。」

「それだけー?」

「そ、それだけ、です……。」

ずい、と身を乗り出してくる望美に、苦笑しながら弁慶は答えた。

「ねえ、やっぱり藤原先生、
 弁慶さんの誕生日知ってるんじゃないのー?」

弁慶がきょとん、と目を丸くする。

「で、でも、そんな話、したことないですし…。」

「先生だからさー、ほら、書類とかで知ってるんだよー!」

「望美、それでは、職権乱用だわ。」

朔が苦笑いをして、言えば。
望美が納得していないように口を尖らせる。

(―知っていてくれて電話してくれたなら、うれしいけれど、でも……。)

でも、もし知らないで電話してくれてるのなら。
それでも、もちろんうれしいのだけれど。
ぐるぐると考えてしまって、気づいたらミルクティが冷め切っていた。



午後4時。
窓から外を見ると、空が暮れかけて、少し風が吹いていた。

「―そろそろ、帰りましょう。
 あまり遅くなると危ないし。」

2杯目のミルクティも飲みきって、朔が切り出す。
帰る前にお手洗い、と望美が席を立ったところで、朔がにこやかに言う。

「―電話、するのでしょう?」

「は、はい………。」

かあ、と頬が赤くなるのを感じる。
携帯を握る手が、熱い。
そんな弁慶の様子に、朔は優しく笑った。

「望美が戻ってくる前に、一度していらっしゃい。」

「はい…。」

朔にひとつ小さく会釈して、弁慶は席を立った。
着信履歴から、通話ボタンを押すまで少しためらったけれど、
勇気を出してボタンを押した。
呼び出し音が鳴って、割とすぐにヒノエが出る。

「―あ、藤原サン?」

「―は、はい……!」

「もう、電話して平気?」

「あ、はい…あの、これから帰るのでその前に、と思って…。」

ヒノエがくす、と笑った気がした。

「―そか。
 今、どこ?」

「今、ですか…?
 学校の近くの駅ビル、ですけど…。」

「学校の近く、か…。」

ヒノエが考えている。
少し離れたところで、望美の「おまたせー」という声が聞こえたから、
弁慶は少しだけ慌てた。

「あ、あの…?」

「ん、ああ…ゴメン。
 これから言うところに、今から来れる?
 そんな遠くはないからさ。」

「は、はい…!」

先生と、会える。
そう思えば、思わず声が上擦った。
かあ、と頬が赤くなる。

「―よかった。
 じゃあ、先に行って待ってるから。」

あとでね、とヒノエが電話を切って、通話が終わった。
待ち合わせは、家の最寄り駅からひとつ上ったところ。

(先生の家の近く、かな…?)

どきどき、してきた。
顔が熱い。
ふたりの元に戻らないといけないのに。



深く息を吐いて、ふたりの元に戻った。
望美が何か言う前に、朔が外に出ましょう、と言った。
望美は不満そうに口を尖らせていたけれど、朔に諭されていた。

「え…?あの、お会計…、」

「いいのよ。
 今日は、弁慶さんのお誕生日祝いなんだから。」

ふたりで済ませた、と言われて、弁慶は目を惑わせた。

「私たちのときに、同じようにお祝いしてくれればいいんだよー。
 気にしないでー?」

望美が、明るく言うので、弁慶は思わず頷いた。
出しかけた財布もしまうしかなくて、いいのかな、って思いながら、
ふたりと改札で別れた。


電車の中、巡る車窓の景色も、いつもと違って見える。
鼓動と、電車の振動音だけが、耳に響いていた。





―先生と、会える。
 夢みたいで、嬉しくて。
 座らないで、ずっと、ドアの近くで待っていた。
 待ち合わせ場所まで、あとひと駅。