ミルクティが冷めていく間に




久しぶりの学校は、何だかきらきらして見えた。

「あけましておめでとー!」

明るいクラスメイトたちの声に、何だかほっとする。
ほんのりと温まった教室が、冬の風に冷えた頬に優しい。



今日は、始業式とホームルームだけで、終わり。
だから、今日は久しぶりに図書室に行こう、そう思って。
はた、と思考を止める。

(―保健室、どうしよう……。)

ふ、と思い出した、ヒノエのことば。

『―オレは、アンタが好きなんだ。』

かあ、と頬が熱くなる。
夢じゃなかった。
だからこそ、どんな顔をして会えばいいのか、分からない。
あれから、電話はしても、顔をあわせていなかったから。

「弁慶さーん?」

「は、はい…?!」

はっとして顔を上げれば、望美が覗き込んでいた。
いたずらな顔をして。

「ふふふー。
 あのあと、どうだった?」

「え、あの……!?」

目を泳がせれば、望美は、にや、と笑う。
完全に見透かされている気がして、弁慶は少し後退りした。

「ふふー、ほんとに、おめでとう、かなあ?」

「な、お…おめでとう……って…?!」

「顔に書いてあるもん!
 ね、キス、くらいはしたんでしょ?」

藤原先生だもんね、なんてこっそりと耳に囁かれて、ますます赤くなる。
首をぶんぶん、横に振ると、みつあみが少し乱れた。

「そ、そんなこと…してません……っ!」

「えー?
 ほんとにー?」

疑いの眼差しを向けられて、弁慶は何度も同じことばを繰り返した。

「でも、告白とかされたんじゃないのー?」

「……!」

図星。
そう顔に書いてあるから、望美は。

「えー?!
 じゃあ、恋人同士じゃん!!」

あくまで小声だけれど、大興奮でそんなことを言う。

「そんな、こと…恋人とか…そんな…。」

弁慶は、頬を染めて俯いてしまった。

「―望美、弁慶さんが困っているから、その辺になさい。」

苦笑しながら、朔が間に入ってくれて。
弁慶は、ほっと胸を撫で下ろす。

「―逢いに行くのよね?
 行ってらっしゃい。
 また明日ね。」

朔に微笑まれて、思わず、はい、と言ってしまったけれど。
教室から出たあと、足はなかなか進まなかった。

(ど、どうしよう…。)

どきどきして止まらない。
望美が、変なことを言うから、余計に。

(―…恋人……?)

そんなこと、考えてなかった。
ただ、好き、と言われた。
好き、と答えた。
それくらいの認識でしかなくて。

(―付き合おう、とか言われたわけじゃないし…。)

どうしよう、どうしよう。
そうぐるぐる考えながら、気づくといつも通り保健室にいた。
ノックすることも躊躇って、しばらく立ち尽くしていると。
急に、ドアが開いた。

「――入らないの?」

「…!!」

心臓が、止まってしまうかと思った。
先生、と声にならず、唇をただ動かして。
ヒノエは、優しく微笑んでいる。
目が優しくて、すごくかっこよくて。
思わず、弁慶は目を泳がせた。

「―いつ来てくれるか、って楽しみにしてたんだけど?」

「あ……あの…。」

どうしよう。
顔が見られない。

「―ほら、入って?」

こくん、ただ黙って頷くだけで精いっぱいだった。



何だか、かちかちに緊張して、座っていた。
いつもどおりに出されたミルクティにも手をつけずに。
困ったときに、左手でくちびるに触れる癖。
本人は気づいていないようだけれど。

「―何で緊張してんの?」

「え?…あ、え、えっと……!」

予想はついているくせに、そんなことを聞いてみれば。
目に見えて慌てるから、可愛くて。

「まだ、夢、とか思ってる?」

「…いえ、そういう、わけじゃなくて……、」

「うん、『じゃなくて』?」

消えかけたことばを拾い上げて繰り返せば、また困ってる。
左手の指先が、またくちびるに触れて。
ヒノエは、かわいいな、なんて思いながらも、
ついいたずら心が疼いて、聞いてしまう。
弁慶は、俯いて、小さく言った。

「……せんせいと…せいと…?」

ぽつり、小さく言われたことば。
不安げに見上げるまなざし。
ことばはひどく足りないのだけれど、なるほど、とヒノエは気づく。
自分たちの関係が変わったのか、
変わったならどうしたらいいのか、分からないのだろう。

「……学校では、ね?」

きょとん、とはちみつ色の目が疑問を浮かべた。
同じ色の髪に、そっと手を伸ばして、みつあみをくるりと指に絡めて。

「―外では、恋人同士、だと嬉しいんだけどな。」

ひととき視線が通って、ヒノエが微笑めば。
弁慶は、目を細めて、嬉しそうに笑った。
そうして、照れて、少し俯く。
かわいくて。
ほんとうは、ここでも、恋人同士らしくいたい。
いつでも、どこでも。
でも、今は。

「でも、卒業までは秘密にしなきゃ、ね。
 ゴメン…。」

少しだけ、苦く笑って、ヒノエは言った。
弁慶は、顔を上げる。
そうして、ふるふる、と首を横に振った。

「先生との秘密、だから、大丈夫です…。
 うれしいから…。」

ヒノエの好きな笑顔で、そんなことを言うから。
ヒノエは、思わず、腕の中に閉じ込めた。
弁慶は、びく、って身体を震わせて。
けれど、そのうち。
細い指が、控えめに、白衣の背中をきゅっと掴む。

「……学校では、先生と生徒、でしょう?」

「――ん、分かってる。
 でもさ、」

もう少しだけ、このままでいさせて。
そうして、すっかりミルクティが冷めてしまうまで、そうしていた。
気持ちは、あったかいまま、ずっと。





―ふたりだけの秘密。
 学校では、先生と生徒、それでもいいから。
 どうか、そばにいさせてください。
 ミルクティが冷めていく間に、先生の腕の中で、そんなことを考えていた。