浴衣と、誰かと、夏祭り




気づくと、毎日のように保健室に行っていた。
具合が悪い、とかじゃなくて。
仔猫に会いに、とかじゃなくて。
話していると楽しくて、でも時々苦手になる。
会いたい。
けれど、やっぱり苦手。
この気持ちが何なのか、よく分からない。



そんな気持ちのまま、季節は移り変わり、
着慣れたはずの制服も、夏服に変わってしまった。
真新しい夏服が、陽射しに眩しい。
仔猫を抱いて毛がついても、目立たないからいいな、くらいにしか
弁慶は思っていなかったけれど。

「ねえねえ、保健室の先生、かっこいいよねー!」

とふいにクラスメイトが言えば、思わず聞き耳を立ててしまう。
話していた内容もかすんで、そちらにばかり意識が行きかけて。

「…弁慶さん?弁慶さんったら!」

はっとして顔をあげれば、心配そうに覗き込まれていた。

「え?あ…すみません…。」

「いいけど…大丈夫?
 具合悪いんだったら、保健室連れてくよ?」

「い…いえ、大丈夫です!」

「でも、」

保健室、と言われて、顔が火照る気がする。
不審に思われてないか不安で、思わず俯いてしまう。

「…望美、あまり言うとかえって気を遣わせてしまうわ。
 でも、辛かったら無理せず言ってちょうだいね?」

「は、はい…。」

「そうだね、朔。
 ごめんなさい、私、思いこむと突っ走っちゃうタイプで…。」

「ふふ、本当に、困ったものだわ。
 この間も…。」

優しい声と、話題がそれたことに、弁慶はほっと胸を撫で下ろす。
望美と朔とは、席が近かったので、仲良くなった。
明るくて男勝りの望美と、しっかりとしていて大人びた朔は、
なかなか付き合いやすい。

「そう、それでね、夏祭りが今度あるじゃない?
 あれ、行こうよ!浴衣着てさ!」

「夏祭り…ああ、隣駅のかしら?」

「そうそう!ね、弁慶さんも、いっしょに行こうよ!!」

突然話題をふられて、弁慶は目を瞬く。

「え、はい…!
 あ、でも、浴衣…持ってないです…。」

望美の勢いに気圧されて答えてみたけれど、
そういえば持っていなかった、と思い出して。
弁慶は、遠慮がちに声を抑えてしまう。
そんな様子も全く構わず、望美は明るく言った。

「そうなの?!じゃあ、買いに行こうよ!
 私も欲しいし!朔は?」

「私は去年のがあるけれど、いいわ、選ぶの付き合うわよ。」

「よし、決まりね!!弁慶さん、それで平気?」

「あ、はい…!」

「よかった!
 じゃあ、お買い物、いつがいいかなあ…。」

望美と朔のペースはとても速くて、たまについていけないけれど、
自分からはなかなか誘えない弁慶にとっては、
とても居心地がよかった。
そうして、いっしょに買い物に行くのは、次の金曜日、
授業終わってから、と決まった。
よく考えてみたら、高校に入ってから、
友達と学校帰りに買い物をしていくなんて、初めてだ。
なんだかうれしくなって、金曜が待ち遠しかった。



そして、金曜日。
授業が終わったあと、ふたりを待たせて、
いつもより少し早足で図書室に本を返しに行った。
いつもどおり、途中、保健室の前を通りかかる。

「…今日は、急いでるんだ?」

案の定、ヒノエから声をかけられて、足を止める。
足元で、仔猫がじゃれついている。
大人しくしなさい、と言って、ヒノエが白衣のポケットに仔猫をつっこむと、
仔猫が今度はヒノエの指にじゃれた。
弁慶はくすくす笑いながら、こくん、と頷いた。

「友達と約束?」

「はい…!」

友達と約束。
何だかそれがうれしくて、弁慶は思い切り笑顔で頷いた。
ヒノエは一瞬きょとん、としたけれど、すぐに優しく笑った。

「そか。行ってらっしゃい。
 また来週、藤原サン。」

「はい、藤原先生…!」

ぺこ、と丁寧にひとつ頭を下げて、編んだ髪を揺らしながら
図書室に向かった。
その後姿を見送って、ヒノエは。

(…笑顔、すげ、かわいい…。)

ひとり、赤面しかけた。
いつも自分には、怪訝な顔や困ったような顔ばかり見せるから。
ふわふわと笑っても、思い切りにっこり笑うなんてなかった。

(…本気になったら、ヤバイよなあ…。)

先生と生徒だし。
それも、8歳も下の。
ヒノエは、壁によりかかって座りこみ、深いため息をひとつ零した。
白衣のポケットから仔猫が逃げ出して、白衣をよじ登ろうとする。
それを叱るのも、忘れていた。
ただ、さきほどの弁慶の笑顔が、気になって仕方がなかった。





その日、浴衣を選びながら、弁慶はふと思った。
望美や朔の声を遠く、聞きながら。

(…藤原先生は、お祭り、行くのかな…。)

賑やかで楽しいことが好きだと言っていたから、
お祭りは好きそうだけれど。

(でも、行くとしたら…誰と…?)

考えたって、分かることじゃない。
でも、気になって。

(きっと、可愛い彼女と、行くんだろうな…。)

ちく、と痛む心に、戸惑って。
なんでこんなことを考えてるんだろう、と更に戸惑う。
やきもちを妬いたんじゃない、と自分に言い聞かせ。
恋人がいるか、なんて聞いたことはない。
もちろん聞けるわけもない。
ちょっとだけ沈みかける気持ちを、買い物の楽しさで紛らせて。
一式の浴衣に、不安定な気持ちを閉じ込めて隠す。



―先生と会わないときも、先生のことを考えてる。



そのことにまだ気づいていなかった。
どちらかと言うと、認めていなかっただけなのかもしれない。





何かが変わる夏祭りが、もうすぐやってくる。