空から降ってきたひと




真新しい制服が少しだけ、馴染んできた気がする。
桜はもう、緑が混じっている。
ホームルームが終わって、みんなが帰り始めて。
きゃらきゃら、にぎやかな声が教室から出て行き、
すっかりと静かになると、かばんに教科書とノートをつめこんで、
一息ついてから、弁慶は立ち上がった。



隣の棟の図書室は、この辺りの学校の中でも、
蔵書数がとても多いらしく、本好きの弁慶にはとてもありがたい。
昨日さっそく借りた本を返しに、渡り廊下を歩く。
運動部の掛け声や、吹奏楽部のロングトーンが聞こえてくる。
その音に混じって、かすかな鳴き声。

(猫……?)

木が揺れている。
少しためらって、上履きのまま、中庭のその木に近づいていくと、
木の枝に白衣がかかっていた。
そして、突然上からひとが降ってきた。

「……!」

思わず目をつぶって、身をかがめる。



「……ゴメン。」

優しい声が聞こえて、そっと目を開けると、
赤い髪の若い男がこちらを心配そうに見ていた。
手には仔猫。

「…驚かせた、かな?」

ゴメンね、と仔猫に頭を下げさせる。
くす、と笑えば、そのひとも笑った。

「…いえ、まさかひとが降ってくると思わなかったので…。」

「それはそうだろうね。
 オレも思わないし。」

誰だろう。
弁慶は、話しながらそう考える。
見たところ、22、3と言ったところだ。
背が高くて、スタイルもいい。
先生なのだろうか。

「この猫がね、下りられなくて鳴いてたんだよ。」

みい、と仔猫が鳴く。
そっと、手を伸ばして、触れてみればふわふわと柔らかい。

「可愛い、ですね。」

心地良さそうに、仔猫はのどを鳴らした。

「…アンタも、噂どおり、ほんと可愛いね。
 新入生代表の、藤原サン。」

はっとして顔を上げると、にやり、とそのひとは笑った。

「なんで…あなたは、」

「オレは、センセイ、だよ。」

先を読まれて、何だかむっとする。
自分のことを知っているようなのに、こちらは誰だかわからない。
廊下ですれ違わないところを見ると、どこかの担任ではなさそうだ。
教科担当でも、廊下では会わないから、1年の担当ではないだろう。

「先生、って言われても…何の先生ですか?」

「ふふ、なんだと、思う?」

「…こちらが質問をしてるのですが。」

不満げに見れば、そのひとは、一瞬きょとんとしてまた笑った。

「そこだよ、すぐそこ。」

指さした先は、図書室のある棟の1階。
真白いカーテンの引かれたそこは。

「…保健室…?」

「そ。保健室のセンセイってわけ。」

なるほど、だから白衣か。
納得したけれど。
何だか、このひとは苦手だ、と思った。
いぶかしげな眼差しを受け流して、ヒノエは笑う。

「藤原ヒノエ、センセイ、だよ。
 藤原弁慶サン。」

「藤原、先生…?」

同じ名字。
一瞬眉をひそめたのが見えたらしい。
ヒノエは、少しだけ苦笑した。
けれど、すぐに、また笑顔を見せる。
手の中の仔猫を、優しく撫でながら。

「ところで、藤原サン、猫は家で飼えるかい?」

「いえ、アパートなので…。」

「そっか、残念。
 じゃあ、ここで飼うしかないか。」

「ここ?」

「保健室の裏。」

仔猫を弁慶に渡して、ヒノエは、木の枝をくぐる。
保健室の窓の横にある、扉を開けて、振り返った。

「ここから、保健室にも入れるし。
 雨の日と夜は、ここに入れてやればいいからさ。」

にい、と鳴いて、弁慶の腕のなか、仔猫がもぐりこむ。
くすぐったくて、思わず笑った。
その様子を、ヒノエは目を細めて見守った。

「藤原サンも、たまには様子見に来てやってよ?」

綺麗な笑顔。
思わず、こくん、と頷いた。
ぱさり零れたみつあみに、仔猫が、じゃれつく。

「コラ。」

ヒノエが、仔猫をつまみあげて、自分の腕の中に戻した。
弁慶が、きょとん、とする。

「せっかく綺麗に編んでるんだから、じゃれちゃダメだろ。」

仔猫相手に真剣に言う姿が、なんだか面白くて。
弁慶は、くすくす、笑った。



何だか、苦手だけれど、憎めないひと。
それが第一印象だった。