きっと、ずっと忘れない




12月22日、終業式。
明日は天皇誕生日でお休みだから、
年内学校に来るのは、今日でおしまい。
終業式と、昼前のホームルームが終わって、
担任の「よいお年を」を合図に、生徒達は騒ぎ出した。

「弁慶さん!
 クリスマスの件、今日中に連絡するね!」

望美はそう言い残して、廊下を駆けて部活に向かった。
相変わらずの慌しさに、朔と弁慶は笑った。

「じゃあ、私もそろそろ帰るわね。
 明後日、楽しみにしてるわ。」

「はい。じゃあ、また…。」

そう言って、朔は昇降口に、弁慶はいつもどおり別棟に向かった。



渡り廊下に差し掛かると、冷たい風がひゅう、と吹きつけてきた。
ぱたぱた、軽く渡り廊下を走り抜ける。
ヒノエに早く会いたくて。
少しでも長く会っていたくて。
そのために、今日は図書室に本を返すのだって、朝のうちに済ませた。
今日会ったら、あとは年明けの始業式まで会えない。
だから。

―とんとん

いつもより、少しだけせっかちにノックをする。
どうぞ、の声に、そっと戸を開けた。

「失礼します…。」

「いらっしゃい。」

ヒノエがいつもどおり優しく声をかけてくるので、
弁慶は少し頬を赤くした。

「―今日で、今年学校に来るのも最後だね。」

いつもどおりのミルクティを渡しながら、ヒノエは静かに言った。

「―はい。」

弁慶は少しばかり目を伏せる。
睫にほんわり、湯気がかすめる。
仔猫が足元でにい、と鳴いた。

「コイツは、今日連れて帰るよ。」

「そうですか…この子ともしばらくお別れですね…。」

弁慶があまりにしんみりと言うので、ヒノエは思わず髪を撫でた。
驚いて、弁慶が顔を上げる。

「―会いに来たって、いいんだよ?」

「?先生の家に…?」

「そ。」

「でも…どこだか、知りません。」

弁慶は、きょとんと目を丸くして、首を傾げる。

「あれ、そうだっけ?」

ヒノエは、目を泳がせた。
そういえば、とよく考えてみる。
ヒノエは弁慶の住んでいるところは知っているけれど、
弁慶はヒノエの住んでいるところを知らないのだ。

「―もうすぐ、分かるよ。」

「え…?」

「―や、そのうち教えてあげる。」

弁慶は、そのことばにちょっとだけ俯いて、淡く嬉しそうに笑った。
そのうち話題は反れて、いつもどおりの話題に花を咲かせた。
下校のチャイムが鳴り始める。

「――残念。
 もう、タイムリミット、だね。」

ヒノエが少し苦く笑って、弁慶は目を伏せた。
もう、帰らないといけない。
分かっているけれど、帰りたくない。

「――送るよ。」

ヒノエがそう切り出してくれなかったら、きっとこのままこの場所から離れられなかった。
ヒノエが帰り支度をしているのを、仔猫といっしょにただ待った。

「あんまり、こうやっていっしょに帰ったら、先生怒られちゃいませんか…?」

特定の生徒を送って帰るのは、きっといいことではない。
先生の優しさに甘えて、いつもそうしてしまうけれど。

「大丈夫。
 藤原サンは、春日みたいに元気いっぱいなタイプでもないし。
 体調が悪い生徒を送った、って言えば怒られないよ。 
 ――気遣ってやるように、って校長からもお達しが出てるからさ。」

「…そう……ですか……。」

例の事件があったから、こうして送ってくれるのだろうか。
もしそうなら、この優しさもすべて、そうなんじゃないか、って。
弁慶は、切なくて、そのあと少しことばを失った。

「―あのさ、校長に言われたから、送ってるんじゃないから。」

すっかり俯いてしまった弁慶を覗き込んで、ヒノエが言う。

「…顔、上げて?」

弁慶はそっと顔を上げた。
ヒノエが優しく見つめてくるので、そのままかあっと顔を赤くする。

「帰ろ?
 ―いっしょに。」

いっしょに。
そのことばが、あたたかく響く。

「―はい。」

仔猫も、にい、と返事をした。



帰り道、また車窓から駅前のイルミネーションを見た。
街路樹につけられた、色とりどりの小さな光が、きらきら。
デパート前の、大きなクリスマスツリーも、きらきら。
明後日の、クリスマスイブ。
先生は、このイルミネーションを、誰と見るのだろうか。
そんなことを考えていると。

「―キレイだね。」

信号で止まって、ヒノエは言う。
弁慶は、窓の外ばかり見ていた目を、ヒノエに向けた。

「…え?」

「イルミネーション、キレイだね。
 藤原サンと見れて、役得、かな?」

弁慶がまた赤くなるのを、ヒノエはくすくす笑った。

「また、見れたら、いいな。
 ―いっしょに、ね?」

そう言うヒノエの顔はひどく優しかったのだけれど、
弁慶はまっすぐ顔を見ることができなかった。
嬉しくて、小さく頷くだけで精いっぱいで。
びび、と後ろの車にクラクションを短く鳴らされて、
弁慶は顔を上げる。

「あ…信号……。」

「ゴメン、もう変わってたね。」

ヒノエはそうして、また前を見てハンドルを握った。
弁慶は、赤い頬を悟られたくなくて、イルミネーションに視線を戻した。
バッグのなかで、静かに弁慶の携帯がメールの着信を告げていたけれど、
そんなことにも気づかないくらい、どきどきしていて。



―いっしょに見た、イルミネーションも。
 いっしょに、ということばも。
 きっと、ずっと忘れない。