夢かもしれない、って思った




きらきら。
まぶたを閉じれば。
あの日、ふたりで見た、イルミネーション。



望美からのメールには、「12時に、迎えが行くから」と書いてあった。
「迎えに行くから」じゃなくて。
ただの打ち間違えだろう、なんて思っていたのだけれど。

―ぴんぽん

12時ちょうど。
インターフォンの音に、弁慶は編みかけていた髪から手を放した。

「―はい。
 どちらさまですか?」

編みかけた髪は、さらさら解けてしまう。
慌ててしまう気持ちを何とか落ち着けて。
何も言わない相手に、首を傾げる。

「―あの?」

「オレ、だけど。」

急に、心臓が騒ぎ出した。
この声は。

「…ふ、藤原、先生?」

「―そうだよ。
 藤原サン。」

くす、と笑う声がした。
迎えが行く、とは、このことなのだろうか。

「お迎えにあがったんだけど?」

「―え?あの……、」

何が何だか分からない。
今日は、望美と朔とのクリスマスパーティ。
どうしてヒノエが迎えに来たのか、分からなくて。

「早く行こ?」

「は、はい…。」

わけが分からないまま、返事をしてしまって、
弁慶は、慌てて髪を編んだ。
おかしいところはないかな、なんて見る間もなくて、
ただ最後に鏡を覗き込んだだけ。



ドアを開けると、私服姿のヒノエが立っていて、
緊張してしまった。
細身のデニムに、ニット、首元にはさらりとストールを巻いて。
夏祭りの時も私服姿は見たけれど、
カジュアルな服装のせいか、いつもより少しだけ幼く見える。

「あの、お待たせ…しました…。」

何だか真っ直ぐ見られなくて、少し目を伏せて細く言う。
ヒノエが何も言わないので、不安になって顔を上げると、
優しく微笑んでいるものだから、どうしていいのか分からなくて。

「―ん、可愛いね。」

弁慶の目を真っ直ぐ見て。
真っ赤になる弁慶の手を引いて、歩き出した。

「…私服、初めて見た。」

「そう、でしたか…?」

「ん。だって、夏祭りは浴衣だっただろ?
 夏休みは、制服だったし。
 だから、初めて。」

おかしいところがないか、弁慶はますます不安になった。
望美と朔と買い物に行ったときに見立ててもらった、白いニットのワンピース。
合わせて選んでもらった、ブーツとマフラー。
こんな格好、したことがないから、似合っているか不安で。

「ホント、可愛い。」

ヒノエが、噛み締めるように言うから、弁慶は赤くなった頬をマフラーに埋めて、
小さく、ありがとうございます、と言った。



ヒノエの車に乗って、シートベルトを締めたところ、
弁慶の携帯がメールの着信を告げた。
弁慶は、慌ててバッグから取り出してみる。

件名:よろしくねv
本文:先生には会えた?
   ケーキ、弁慶さんの好きなのでいいから、買って来てねv
   先に用意して待ってるから!
   よろしくーv

瞬きを何度もしながら、何が何だか分からずに、
弁慶は携帯をじっと見ている。
そんな様子に、ヒノエはまた、くす、と笑った。

「―春日から?」

「は、はい…ケーキ買って来て、って……。」

「そか。
 じゃあ、買いに行こ?
 オレんちの近くに、評判のとこがあるからさ。」

「はい…。」

弁慶は、まだ目をぱちぱちさせて、戸惑っていた。



見慣れた景色から、だんだん離れていく。
車窓から通りを見れば、恋人たちが、手を繋いで歩いている。
ひどく幸せそうに。

(―どんなふうに見えるのかな…。)

こうして、ヒノエの車の助手席に座っていると、ときどきふと思う。
周りの目に、自分達はどう映るのだろうか。
友達、兄妹。
恋人同士には見えないだろうな、なんて、切なくて目を伏せる。
あんなふうに、幸せな恋人同士みたいに見えたら、それだけでも幸せなのに。

「―ほら、ついたよ。」

ヒノエのことばに、顔を上げれば。
クリスマスの装飾のなされた、かわいいケーキ屋。
ぼんやり見上げていたら、いつの間にか車を降りていたヒノエが、
外からドアを開けてくれる。

「ほら、お手をどうぞ?
 お姫様。」

ヒノエは、笑って言った。
弁慶は戸惑いながら、その手を取る。
そうして、車から降りた。


きらきら、綺麗なケーキたち。
目を輝かせる弁慶の手を取ったまま、ヒノエは優しくそれを見守る。

「―決まった?」

「いえ…目移りしてしまって……。」

弁慶は、申し訳なさそうに言う。
ヒノエは笑って、空いている右手でそっと髪を撫でた。
弁慶は、ふわり頬を染めて、見上げる。

「どれでもいいよ。
 どんなのが好きなの?」

「…いちごと……チョコ…です……。」

ヒノエは、ショーケースの中のケーキを見渡した。
チョコレートのケーキはあっても、いちごのものは売切れてしまっているようだった。

「―ちょっと待ってな。」

そう言うと、繋いでいた手を離して、
ヒノエは、店員の女性に声をかけて、何か話している。
店員の女性は、心なしか、嬉しそうだ。
それに、店内の女性はみんな、ヒノエのことを見てる。
弁慶は、少し寂しそうに目を伏せた。

「―お待たせ。」

そう言って、戻ってきたヒノエは、優しく髪を撫でて弁慶に微笑んだ。

「―今、チョコレートのケーキにいちご、つけてもらってるから。」

「え…?」

「両方、好きなんだろ?
 だったら、両方入ってたほうがいいじゃん。」

嬉しかった。
嬉しくて、涙が出そうなくらい。

「あの…、」

「ん?」

「ありがとう…ございます…。
 すごく、嬉しいです…。」

弁慶が、ふわり、笑った。
ヒノエは、少しだけ照れて、ん、と言っただけだった。
弁慶は、どきどきして何だか熱くて、
ケーキが溶けてしまうんじゃないか、って思った。



ふたりで選んだケーキを大切に抱えて、ふたりでヒノエの住むマンションに向かう。
隣で嬉しそうにしている弁慶が、可愛くて。
ヒノエは、運転に集中するので精いっぱいだった。

「おかえりー!」

ヒノエのマンションの部屋に入ってみれば、望美が盛大に出迎えてくれる。
弁慶は、買って来たケーキを落とさないようにゆっくりと入る。

「お邪魔…します…。」

綺麗に片付いた玄関から、中にそっと入っていく。
ヒノエは、弁慶の手の中のケーキをそっと持ち上げた。

「冷蔵庫に入れてくるよ。
 適当に座ってて。」

「はい…。」

そう言われて、望美と朔がいるリビングに向かう。
広くて、物が少なくて、とても綺麗だった。
望美の飾り付けで、今はいろいろな飾りが壁についているけれど。

「―春日、壁にガムテープとかで貼ってないだろうな?」

「ちゃんとセロテープにしときましたよ!
 もう、細かいんだから!」

「お前なあ……。」

望美とヒノエがそんな話をしているのを、朔と弁慶はくすくす笑って見ていた。



昼ごはんは宅配のピザで済ませて、
朔が持ってきたクリスマスソングのCDをかけながら、
ゲームをしたり、トランプをしたりして騒いだ。
午後3時すぎになって、やっとケーキの時間となる。

「―ミルクティでいい?」

後ろからそう囁かれて、弁慶はびっくりしながら、こくんと頷く。

「春日、梶原、紅茶でいい?」

「ええ、すみません。
 お願いします。」

「私も紅茶でいいでーす!」

「ん、ちょっと待ってて。」

そう言って、キッチンに消えていくヒノエの背中を見送って、
弁慶は望美にそっと話しかける。

「あ、あの…望美さん、今日どうして…。」

「…先生に、クリスマスイブの予定聞いてね、
 何もないって言うから、弁慶さん連れて遊びに行っていいか聞いたの。」

「え…?」

「弁慶さんがいっしょならいいよ、って言ったから、ここでパーティにしたの。
 ダメ……だった?」

望美は、少し不安そうに弁慶を見つめた。
弁慶といっしょならいい、と言うのは、どういう意味なのか。
弁慶はどきどきしながら少し俯く。
そうして、ふわり、微笑んで言った。

「いいえ……とても…楽しいです…。
 ありがとう、望美さん。」

望美は、弁慶の笑顔を見て、嬉しそうに微笑んだ。



ヒノエの入れてくれたミルクティは、いつもどおりの味がして、
弁慶はほっとした。
いちごののった、かわいいチョコレートケーキを頬張って、
嬉しそうに笑う。

「―おいしい?」

「はい…!」

ヒノエは、眩しそうにそれを見つめる。
ふわり、嬉しそうに笑う弁慶の顔を見て、朔と望美も目を合わせて喜んだ。
可愛い恋がそこにあって、思わず微笑んでしまう。
楽しいクリスマスイブの時間。



午後5時。
朔の携帯が鳴って、朔が部屋から出て行った。
どうやら、彼氏からの電話のようだった。

「もうそろそろお開きにしないとねー。
 朔は、彼氏から呼び出しか…。」

望美はため息をついて、マグカップを置いた。
片付け、と弁慶が立ち上がると、望美も立ち上がった。
望美とふたりで台所に立って、食器を洗う。
洗い始めて少しして、水音に混じって望美がそっと話し出す。

「…弁慶さん?」

「?はい。」

「…応援、してるから。」

「え……?」

「好きなんでしょ、先生のこと…。」

望美のことばに、思わず手を止めて、弁慶は頬を赤くした。
ただ水だけが音を立てて流れている。

「もう、可愛いんだから。
 私も、そんな顔できる恋がしたいなあー。」

「の、望美さん…!」

ますます頬を赤くして、俯いてしまう弁慶に、くすっと笑って。
望美は濡れた手を拭いて、頭をぽんぽん、と優しく撫でた。

「朔と私はもう帰るから。
 帰りは、送ってもらってね。」

せっかくのクリスマスイブ、なんだから。
望美は、そう言って微笑んだ。
弁慶は、頬を赤くして俯いてしまって、何も言えなかった。



そうして、午後5時半。
朔と望美は帰って行く。
いっしょに帰ろうとした弁慶を、ヒノエは呼び止めた。

「――もう少し、いっしょにいよ?」

ただ、頷くだけで、精いっぱいだった。



―ふたりきりのクリスマスイブなんて、
 どうしていいのか分からないけれど。
 学校以外でいっしょにいられるなんて、夢にも思わなかった。
 夢かもしれない、って思った。